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第2研究報告 環境法分野から


遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS)
―漢方生薬製剤を中心として―


富山大学経済学部経営法学科 准教授 神山智美
コメンテーター:岐阜大学研究推進・社会連携機構 特任助教 小林邦彦


はじめに

 名古屋議定書(以下「議定書」という。)は、2010年に名古屋で開催された生物多様性条約締約国会議(COP10)で誕生した。議長国であるわが国にはその早期の批准が求められている。しかしながら、2014年10月に発効したにもかかわらず、わが国は未だ批准していない。その理由として、「バイオ関連の業界に慎重論があるため」、「関連省庁との調整の困難さ」等が挙げられている(日本経済新聞2014年10月20日付)。

 富山および富山大学は「くすりの富山」であることから、遺伝資源を用いる産業および研究が盛んである。そこで、議定書の批准に関しては既に多くの議論があるところ、特に漢方生薬製剤領域ではどのような議論および留意点があるのか、議定書に関連する複数の省庁等の意向等から留意すべき点を管見の限りではあるが検討し言及する。


1 生物多様性条約、名古屋議定書およびABS国内法

  生物多様性条約(CBD:Convention on Biological Diversity , 日本は1993年締結、同年発効)は、「遺伝資源の利用から生じた利益の公正で衡平な配分(ABS:Access to Genetic Resources and Benefit Sharing)」をその目的の一つに掲げている(1条)。ABSとは、遺伝資源を持ち出す際のルールと、持ち出した遺伝資源を基にして生じた利益を公正かつ衡平に配分するための仕組みである。生物多様性条約が成立する以前は、遺伝資源の持ち出しに関する国際的なルールは明確ではなく、また利用国または利用者から遺伝資源を提供する国や先住民に利益を還元する仕組みもなかったことからすれば、大きな前進であった。

 生物多様性条約においては、ストックホルム宣言で謳われることになりラムサール条約に引き継がれた「主権的権利(Sovereign Right) 」をベースとした枠組みが基調とされた。その15条には、遺伝資源に対しては資源国が主権的権利を持つことが明記されたのである。さらに、国内法令に従うことを原則に、提供国と利用者間でPIC(Prior Informed Consent:事前同意)が必要であること、およびMAT(Mutually Agreed Terms:相互合意条件)で公正・衡平に利益分配すること等も定められた。これらのルールを実効性あるものとすべく、その後、法的拘束力のないボン・ガイドラインの制定(2002年採択)を経て、法的拘束力のある議定書が締結された。


2 ABS法制に関する主たる論点

 この議定書を批准するためには、当該議定書に基づくいわゆるABS国内法(国内措置)の制定が必須となる。ABS国内法には遺伝資源の提供に係る法令だけでなく、遺伝資源の利用に係る法令も含まれる。利用国には自国の利用者が、相手国の国内法令に従って遺伝資源を取得したという合法証明を義務付けている(議定書15条1項)。その合法証明をするにあたり想定されるのが、PICおよびMATの締結であり、それらを証明するものとして、提供国政府が発給することとなっている許可書の有無である。議定書を締結し国内実施に移っているEUにおいては、利用者に対して許可書または関連情報の提供を、義務付けている。このようにABSに係る国際的なルールおよびABS国内法の適用ルールは定められてきているところ、現実のABS国内法令の整備および運用が各締約国内でどこまで精緻になされるかという疑念が払拭できないことが問題の1点目である。

 その他、ABSに関しては少なからざる論点があり、紙幅の都合により以下に数点を紹介する。2点目に、提供国のABS国内法が、国際的な基準に従っていない場合の対処のあり方が問われる。まずもっては提供国のABS国内法制に対して、国際的な標準または基準の参酌および遵守を要求できるかという問題がある。また、提供国たる発展途上諸国は、遡及適用を内容とするABS国内法を規定することも可能である。これらには、議定書3条および5条の趣旨から、提供国のアクセス規定に関する国内法にも制約を及ぼすことが可能であると解釈できる(磯崎博司「名古屋議定書案の特異な構造とその概略」NBL No.936,2010)ものの、多かれ少なかれトラブルとなるまたは委縮効果をもたらすことは避けられないであろう。さらに、対象となる利益の範囲にも、特に「遺伝資源の利用」に派生物の生産が含まれるかどうかをめぐって、先進諸国と発展途上諸国との対立もある(議定書5条1項)。

 3点目に、知的財産法制に関わるABS法制のあり方である。ABSの問題は、概して遺伝資源を提供する側であった発展途上諸国と先進諸国との対立構造として把握することが可能である。この対立の中で、発展途上諸国は、世界知的所有権機関(WIPO)における特許関連条約の交渉過程において、ABS法制の遵守および制裁のメカニズムを、特許法制の中に設けることを主張してきている。すなわち、生物資源に係る特許の出願において、当該資源の地理的起源または入手元の開示等を特許出願者に求めるというものである。いわば、ABS法制を特許法制の中に組み込む試みともいえる。しかしながら、特許出願に係る遺伝資源がABS国内法に違反しているかそうでないかという問題は、特許性の実質的要件としてはならない(井原宏「遺伝資源の取得・利益配分のための国際レジームにおける基本課題」NBL No.933,2010)。然るに、特許法は、パリ条約(工業所有権の保護に関するパリ条約:1883年成立、日本は1899年初加盟)を基に立法されており、原則として発明に対してインセンティブを与えて発明を奨励するものだからである。


3 漢方生薬製剤分野から

 漢方は、もともと中国(漢)で発達し、日本に5世紀ころにわたって独自の発展をしてきた、日本独自の伝統医学である(日本漢方生薬製剤協会生薬委員会委員長 浅間宏志氏および株式会社ツムラ生薬本部生薬生産管理部部長 小柳裕和氏からご教授賜った。)。その治療に使われる漢方薬は、草根木皮を中心に動物由来のもの、鉱物等の天然物(生薬)を組み合わせて作られている。他方、中国には別途、中医学があり、中医薬および中薬がある。

 漢方生薬製剤分野でABS国内法制定に関して懸念が生じているのは、「漢方生薬は議定書の対象となるのか」というところである。主たる理由は、提供国と利用国の間で定義が異なってもおかしくはないからである。2の2点目において対象となる利益の範囲についての議論があることを紹介したが、その部分にあたる。

 さらに、2の1点目に記した、国際的なルールに則ってのABS国内法の遵守および執行が、各締約国内でどこまで精緻になされるかについての不安がある。特に、国内で流通している生薬の90%は輸入品であり、およそ8割の生薬(金額ベースでは3分の1)が中国からの輸入品となる。さらに、中国は、無形文化財法による中医薬の伝統的知識の保護や、特許法による出所開示に関する条項等を定めて、自国の「伝統的知識」や遺伝資源に対しての囲い込みとも受け取れる行為をしている。「伝統的知識」に係る定義は議定書にはなく、議定書の趣旨の範囲内に納められるべきものであるべきであると主張する。

 そもそも提供国がABS国内法を整備してその情報をクリアリングハウスに登録して利用者がアクセスできる状態にならなければ議定書の範囲とはいえない。提供者利用者間および国家間で調整すべき課題が多く、また諸外国(特に中国)の動きも定まらないところ、最大の提供国である中国は未だABS国内法を制定しておらず、その動向を見ずしてわが国がABS国内法を制定することへの危惧がある。


4 関係省庁間の調整

 ABSに関連する省には、環境省、外務省、厚生労働省、文部科学省(学術研究)、経済産業省、農林水産省、財務省(酒類取扱)、国土交通省(国内に存する遺伝資源に係るPICとの関係)等が挙げられる。中でも、遺伝資源そのものを扱わない環境省および外務省と、その他の遺伝資源を扱ううえでの具体の調整が必要となっている省庁との間にはいくばくかの温度差がある。例として、ABS国内法整備に反対させるかのごとく、「産業界には危機感がない。直接声を上げてもらわないと困る。」と、経済産業省の官僚が、企業関係者を叱咤した事例もある(日本経済新聞2015年4月16日付)。


5 より適切なABS国内法制定のために

 わが国は議定書の早期締結を目指し、ふさわしい国内措置のあり方を検討するため、2012年9月に「名古屋議定書に係る国内措置のあり方検討会」(座長:磯崎博司 上智大学大学院教授(当時))を設置した。目標としていた2015年内には締結は適わなかったが、現在も検討が進められているところである。

 筆者は、3および4を踏まえて、具体の調整が必要となっている分野および産業領域の懸念を払拭できるような(払拭できなくとも将来的な課題を共有していけるような)丁寧な検証と説明が必要であろうと考えている。

 そこで基本となるのは、議定書は①何を目的として②何を定めているのかということを再認識することであると考える。②については、遺伝資源の取得は、議定書の有無にかかわらず、「相手国の国内法令に従う」必要がある。そのうえで、議定書は、合法的な資源調達を定めている。よって、わが国が議定書を批准することで、国際的なルールの範囲であるかないかという観点で自らの利用者としての行為を正すとともに、提供国のABS国内法の不備なり執行の違法および不当を指摘することも可能となるのである(コメンテーター小林邦彦氏の指摘による)。これは、議定書が、通常の条約や議定書のように主権国家が相互に主権を制限し国際的な基準を定めるものではなく、提供国の国内法に域外効力を認めるための条件と手続きはどうあるべきかという、極めて法技術的なことを規定している(磯崎 前掲,2010)という特徴に由来している。議定書が国際基準化を目指す仕組みではなく、二国間または当事者および国家間で直接的に域外効力を及ぼすように設計されているためである。とすれば、提供国(ここでは中国)のABS国内法が未だ制定されていないことに対してわが国の利用者は懸念は抱く必要はなく、むしろより早期にわが国のABS国内法を国際的なルールに基づき制定して、その下での国際的なレギュレーションの確立に尽力すべきといえよう。

 さらに報告者としては、①の議定書は何を目的としているかという点も重視したく、目的とされている提供国における遺伝資源の保全に資する仕組みの設立までを、国際的なルール化の下に置くべきであろうと考える。


6 コメンテーターおよび会場から

 国際環境法を専門とするコメンテーター小林邦彦氏(岐阜大学)からは、以下2点のコメントがあった。1点目として、国際環境法の観点から、議定書が利用国に課す義務(obligation)を明らかにすべき必要があること(議定書15条から17条)が指摘された。すなわち議定書は、自国の管轄内で利用される遺伝資源に関してその資源を取得した資源国の法令等に従っているという合法的証明を義務付けているのであり、むしろ利用国がその手続きの仕組みを有効に活用すべきではないかというものであった。また合法証明等についての環境法分野における課題(例えば、違法木材のに関して)が出現してきているという認識も披露された。2点目として、取引法の観点から、取引きの前提である所有権の帰属に関して、伝統的知識の所有権および自然環境における微生物の法的位置づけ等も検討していく必要があることも指摘された。

 会場からは、域外適用に関して、先進諸国で別の枠組みを作ってそれによって発展途上諸国に対抗するまたは巻き込むような試みは出来ないか、TPP等の仕組みを援用できないか、提供国における違法な遺伝資源の収奪を防ぐために株主によるチェックを活用できないか、等の質問があった。さらに、企業の製薬部門の方および公法人の知的財産部門の方々から、個別に、提供国における動向についておよび自社および自法人内の遺伝資源の扱いについて等の質問が寄せられ、報告者およびコメンテーターがお応えした。

*本研究は、2014年度三井物産環境基金採択研究の成果の一部である。





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