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グローバル時代における日本の英米法教育
- 一橋大学の試み -


一橋大学大学院法学研究科 教授
ジョン・ミドルトン


 本講演で、堀部政男先生の弟子・後任として1990年代から英米法の授業を担当してきた教育者の立場から、これまでの自分の教育活動を振り返りながら、一橋大学における英米法教育のあり方について紹介した。


英語による英米法教育の実現への道

 母国オーストラリアのモナシュ大学の文学部と法学部の双方を卒業してから、25年前に国費留学生として一橋大学の大学院に進学した。モナシュ大学文学部では日本語と日本学を専攻し、法学部ではオーストラリアやイングランドの弁護士資格を取得するために必要な科目を全部履修した。しかし、日本語で法律を勉強する機会がなかったので、日本語の法律用語を身に着けるために留学し、堀部先生の下で名誉・プライバシー権関連の研究をすることにした。

 1990年10月に国費研究生として一橋大学に入学し、1年半で修了するはずであった。しかし、堀部先生に初めて会ったときに助言を受け、修士課程に進学することにした。

 当時、堀部先生は、一橋大学の教授であったが、毎年新潟大学で非常勤講師として情報法を担当しておられた。先生は、よく新潟大学の鯰越溢弘先生と話し、その英米法教育の状況について聞いておられた。鯰越先生は、当時、毎年ロンドンからバリスタ(法廷弁護士)を招聘し、共同で英米法の授業を担当された。具体的に言うと、そのイギリス人が英語で日本人学生に教え、鯰越先生は、日本語で試験問題を作成し、採点をした。堀部先生は、初めて私と会ったときに、私のような、日本語ができる人間なら、その両方の役割を果たすことができるはずだと考えられた。当時、学者になることは考えていなかったが、とりあえず修士課程に進学することにした。

 修士課程1年生のとき、堀部先生のすべての授業に出席し、周りの日本人と違って積極的に質問したりコメントしたりした。本当に生意気な奴であった。周りの日本人は、毎回のように偉大な教授の話を否定するような発言ばかりする私を見て驚いた。しかし、数分かけて私たちの議論を聞くと、私が決して先生の話を否定しているわけではないことが明らかになった。二人とも同じことを考えているけれども、ただ、私が外国弁護士の卵として英米法を見る角度は、日本人学者と異なっていた。私が当時発言したことはつまらないことばかりだったが、そのおかげで授業のエンターテインメント性が上がったようである。聞く側にとっては、一方的な話より二人の議論のほうが面白かったであろう。私も、実際に、今年度の学部のクラスに刺激を与えるために、日本人ティーチング・アシスタントにサクラを演じてもらったが、それはとてもよい効果をもたらした。

 修士課程2年生の頃、私は名誉毀損について研究していたので、堀部先生の学部の講義で、そのテーマについて、英語文献を使って日本語で教えるように頼まれた。その話は3時間ぐらいで終わるはずだったが、堀部先生が適宜に鋭いコメントを加えたため、結局20時間もかかってしまった。それも学部学生の間で好評であった。

 1993年に、私は、修士課程を修了し、司法修習のために一度オーストラリアに帰国したが、その研修修了後、教官助手として一橋大学に戻った。当時、学生に教える義務はなかったが、私の希望で、助手として堀部先生の授業で教えることになった。はじめのうちは、いつも先生の指示の下で英語文献を使って日本語で教えていた。

 1997年に専任講師になって初めて自分の責任で教えるようになった。そのとき、専任講師になったら日本語で教えるべきかどうかについて、基礎法部門のスタッフに相談してみた。結局、自分の存在を正当化するために、なるべく一般の日本人にはできないことをやるよう勧められた。それ以来、どの英米法の授業でも、主に英語を使って、オーストラリア弁護士としての知識を活かしながら、英米豪法を教えることにしている。

 それは、大学で生き残るための手段でもあった。当時、外国人教員は、3年契約で採用されていたので、常に自分の価値をアピールする必要があった。もし労働契約が更新されなければ、ビザもなくなることは言うまでもない。

 実は、私にとって、英語で教えるより日本語で教えたほうが楽な場合がある。というのは、日本語で教える場合、実際に自分が言っていることが通じているかどうか判断できるからである。問題は自分の日本語能力である。日本語がおかしいときはいつも意識しているので、必要に応じてもっと上手に説明し直してみることができる。これに対して、英語で大勢の日本人に教える場合には、どれほど理解してくれているか判断するのは非常に難しい。


現在の英米法講座

 私がオーストラリアで受けてきた法学部教育の目的は、アメリカの法科大学院と同様に、その学生を一人前の弁護士にするためだったので、私も、授業の中で現代法を中心として、実際に将来の研究や仕事に役立ちそうな基本知識と技術を教えようとしている。言い換えれば、実務的なことを重視している。

 次に、[資料]を使って現在の英米法講座のあり方について詳しく説明したが、ここでは省略する。


英語による英米法教育の意義と問題点

 私は、19年前から英語で教えているが、本当に英語で勉強したがっている意欲的な学生の姿を見るたびに感心する。彼らは、実際に自分の将来の研究や仕事に必要だと思って、私の講座を履修している。その授業が英語で行われているからこそ、ほかの学部 ― 特に商学部 ― から入ってくる学生が多い。実際に私の講座を取ることによって、法律学の魅力を感じるようになって、その後アメリカやオーストラリアの大学で法律を勉強する気になったという学生が毎年いる。

 留学生については、特に東ヨーロッパ人は英語が得意で、私が配布しているプリントを丸暗記し、ほぼ完璧な答案を出している。実は、それは、私にとって大きな問題となっている。というのは、一橋大学のガイドラインによってA評価の取得者数がA・B・C評価取得者数の合計の3分の1以下とされているため、多くの留学生が英米法を履修することになると、優秀な日本人はAが取れなくなるおそれがあるからである。

 私のクラスでは、英語能力の程度はもちろん、法律の知識のレベルもさまざまである。すべての学生のニーズに合わせるのは至難の業である。言葉の問題で悩んでいる人がかなり多いので、私はなるべくゆっくり話す必要があるが、そうすると、時間がなくなってしまう。

 そして、もうひとつの問題がある。日本人学生は、私がどれほど分かりやすい英語を使っているかについてあまり意識していないようである。だから、外国のロースクールの授業はこの程度だと、甘いことばかり考えて留学してしまうケースもあるかと思う。

 英語による英米法教育には、さまざまな問題点が存在するものの、それでもやりがいを感じることが多い。一橋大学の試みは、成功だと考える。




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