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マービン・ミラーの
「FAへの死闘」(後編)

一般社団法人GBL研究所 理事 宮田 正樹

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スポーツビジネスと法 第3回

 労働法、独占禁止法、契約法、著作権法、商標法……。これらさまざまな法律が複雑に絡み合う、世界でもっともポピュラーなビジネスがあります。それが「スポーツ」ビジネスです。日頃、私達が観賞しているこのスポーツにこそ、その国ならではのビジネス課題や法律問題が潜んでいます。この連載では、スポーツビジネスと法に関する研究の第一人者である宮田正樹先生に、「スポーツビジネスと法」と題して連載をいただきます。
 連載第3回、タイトルは「マービン・ミラーの「FAへの死闘」」。今日、日本のプロ野球でもなじみの深い「FA=フリーエージェント制度」が、どのように生まれていったのか。そこには「世界最強の労働組合」と評される米国メジャーリーグ会長、マービン・ミラーの尽力と闘争の歴史がありました。後編では、ミラーの足跡と、ミラーが遺したものを追っていきます。



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マービン・ミラーの登場と足跡

 
  
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マービン・ミラー自伝『FAへの死闘』(ベースボールマガジン社 1993年)

1966年4月、MLBPAは全米自動車労組、全米鉄鋼労連などの労働組合のエコノミストとして活動し、労使交渉などの経験を積んでいたマービン・ミラーを年俸5万ドルで初の常任の委員長として招聘しました。ミラーは、ハーバード大学の教授職のオファーを受けていましたが、最終的にはMLBPAを選んだのです。

 労働組合の専門家を委員長に据えたことにより、MLBPAは一気に真の労働組合としての様相を呈しました。これを危惧したオーナー側は、オールスター戦の収益から組合運営費として提供していた15万ドルの支払を拒絶するという形で圧力を加え始めました。  支払拒絶の理由は、経営側から労働組合への資金援助はNLRA第8条(a)(2)「労働組合に対する支配や違法な支援の禁止」に当たるというものでした。「それまでの支払は何だったんだ!」ということになりますが、MLBPAを「労働組合」として認めたことになるともいえます。
 この財政危機を、ミラーは次の方法で解決することに成功しました。

① 年金基金の選手の個人負担部分を全額オーナー(会社)負担に切り替える
② それまでの選手個人負担部分(344ドル/年)を組合費として徴集する

 しかし、組合費は翌年(新シーズン)にならなければ入ってこないため、それまでの間の資金を捻出しなければなりません。
 そこで、知恵を絞って考え出されたのが、「選手の肖像権をライセンスする」ことでした。
 いずれ本連載において、『チューインガムから始まった「肖像権」』として紹介しますが、MLBの選手個人の肖像権は、チューインガム会社「Topps」がトレーディング・カードあるいはお菓子のおまけに使用することができる独占的ライセンス契約を選手個人と交わしていました。ミラーは、選手とToppsとの個人契約に抵触しないような形で全選手の肖像権をMLBPAが一括してライセンスする方法を見出し、最初の顧客としてコカコーラ社と2年間、年6万ドルの契約を締結することにより、1966年の組合活動の資金を調達することに成功しました。この「選手の肖像権」ビジネスは、大きく成長し、その後もMLBPAの大きな財源となっています。

1968年:第1回目の労働協約(CBA:Collective Bargaining Agreement)の締結
 こうして選手からの信頼と労働組合の財政基盤を固めたミラーは、MLBとしては初めてのCBAを締結すべくオーナー側と交渉を開始しました。MLBPAを「労働組合」と認めたくないオーナー側は、徹底的に交渉引き延ばし作戦を採りましたが、1968年のシーズン開幕前に向こう2年間(68年、69年)のCBAが締結されました。
 このCBAの大きな成果は次の2つです。
① 最低保障年俸を$10,000にアップ(それまでの6,000ドルから大幅アップ)、減俸幅の上限を20%へダウン(それまでの25%から5%ダウン)
② コミッショナーに最終裁定権を与えるというものではあったが、苦情処理・仲裁制度(Grievance Procedure)が定められた

苦情処理・仲裁制度(Grievance Procedure):アメリカの労働協約は、ほぼ例外なく、自治的紛争処理システムとしての苦情処理・仲裁制度(Grievance Procedure)が定められています。裁判所やNLRBは、この制度を労使自治に基づくものとして極めて高く尊重していることから、紛争が生じた場合には、先ず、苦情処理・仲裁制度にかける必要があります。MLBの制度は、この時点ではコミッショナーに最終裁定権がありましたが、後述の1970年のCBAで、労使双方に属さない中立的な人間による「第三者仲裁人」に改善にされたので、メッサースミス事件においてピーター・サイツの仲裁裁定が下されたのでした。

 その他、春季キャンプ手当(前記マーフィー・マネー)が25ドル/週から40ドル/週にアップされたり、シーズン中の食費が12ドル/日から15ドル/日にアップされるなど、待遇の改善が図られましたが、懸案である「保留制度の改廃」と「年間試合数の削減」については、労使で研究機関を設けて、2年後のCBAの課題とすることになりました。

1969年:NLRBがMLBはNLRAの対象であることを認定
 この頃、MLBのアメリカン・リーグ(AL)の審判(アンパイア)達は、雇用契約の交渉のため排他的交渉代表となる労働組合を結成することを目指して、NLRBにその援助を求めていました。
 先に紹介しましたように、NLRAは、「団体交渉のために適切な単位の労働者の過半数によって指名または選出された 代表者は、雇用条件にかかる団体交渉の目的について、その単位のすべての労働者の排他的な代表となる」と定めています(第9条(a))。つまり、交渉単位における過半数によって唯一の交渉組合を決定しなければなりません。
 一方、NLRBの規則によれば、組合は、交渉単位内労働者の30%以上の支持を証明しなければ、交渉代表たる地位を獲得するための選挙の申請ができないことになっていました。
 そこで、審判達は、組合を支持することを証明する署名付の「授権カード(Authorization Card)」を各審判仲間から必要数集めて、1969年、交渉代表たる地位を獲得するための選挙の申請をNLRBに行いました。

 これに対してAL側は、フェデラル・ベースボールクラブの判例を持ち出し、MLBには連邦法が適用されないことになっているので、当然、連邦法であるNLRAも適用されないはずだ、としてNLRBに異議を申し立てました。また、AL側は、「MLBには内部的な自己規制仕組み(コミッショナー事務局)があるのだから、NLRBが介入する必要はない」とも主張しました。
 この争いを審議した結果、NLRBは次のように指摘し、MLBに対してNLRAは適用されるとの判断[※1]を下しました。

[※1] December 15,1969 “The American League of Professional Baseball Clubs and Association of National Baseball League Umpires” 180 N.L.R.B. 190 (1969) Case I-RC-10414

① もはやMLBを州際取引に該当しないとすることはできない。
② これまで統一審判契約、MLB協定、MLB規約により、労使紛争の解決はコミッショナーの仲裁に委ねられてきたが、このような制度が、今後の労使紛争の発生を抑制し、また発生した場合に適切な解決に導くとはいえない。
③ 使用者または使用者間によって一方的に設置された紛争解決処理制度に対してNLRBがその管轄権を否定されることは、NLRAの文言および精神に反している。
④ NLRAの立法過程において、連邦議会がプロスポーツ産業で生じる労使紛争への同法の適用を除外することを意図していたと解することはできない。

 この判断により、MLBPAはNLRAの適用対象である「労働組合」であること、したがってNLRBの管轄下に置かれることが明確化されたことになりました。

1970年、第2回目のCBA(初めての改定)
 1970年の5月にやっと第2回目のCBAが締結されました。
 このときに先述の苦情処理・仲裁制度(Grievance Procedure)の最終裁定者として「第三者仲裁人」が導入されています。その際、選手の取扱いが問題となり、MLBPAが選手の肖像権の商業目的での使用の権利を保有することは認められましたが、テレビ肖像権の所在について折り合いがつかず、最終的には裁判で争うこととされています。

 なお、忘れてはならないのは、この年(1970年)1月16日に、カート・フロッド選手が、MLBPAの全面的なサポートの下で、保留条項を反トラスト法違反として、当時コミッショナーであったボウイ・キューンとMLBに対して410万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしたことです。

1972年、プロスポーツ界初めての選手のストライキ
 この年、MLBの拠出する健康保険費用に50万ドルプラスすることと年金基金への拠出額を物価上昇スライド分上乗せするというMLBPA側の要求をオーナー側が拒絶したことからCBAの交渉は紛糾します。このときMLBはNBCテレビとの間で72百万ドルもの一括テレビ放映権契約を締結した直後であったにも拘わらず、選手には強硬な態度で挑んだのです。
 ミラーの指導の下、権利に目覚め始めた選手達はストライキでもってこれに対抗する意思を固めました。経営側の歩み寄りのないまま、ストライキは実行され、4月1日から4月13日まで13日間続行されました。MLBとしては勿論のこと、アメリカのプロスポーツとして初めての選手によるストライキでした。
 4月13日に経営側が選手側の要求を全面的に受け入れたことにより終結しましたが、この間に83試合が流れ、経営側には少なくとも520万ドルの損失が生じたといわれています。選手側にも9日分の報酬、約60万ドルの損失となりましたが、獲得した保険費用および年金基金の増額は、これを補って余りあるものでした(なお、第3回目のCBAは、新たに「サラリー仲裁制度」を盛り込んで、1973年3月末に締結されました)。

 1972年は、MLBPAおよびミラーにとっては、6月に連邦最高裁でカート・フロッドの敗訴が確定した年でもありますが、選手との結束はより強化され、このあと、メッサースミス事件、FA制度の獲得へと進んでいったのです。
 米国メジャーリーグ選手会が労働組合化していく流れをまとめると、次のようになります。


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(※クリックで拡大します)


マービン・ミラーが遺したもの

 マービン・ミラーがMLBPAの委員長に就任当初、選手の最低保障年俸は6,000ドル、平均年俸は1万9000ドルでした(1967年ベース)。ミラーの指導と交渉力の下、1968年、最初のCBAでは最低保障年俸が1万ドルにアップし、彼が委員長としてMLBPAを指揮した最後の年である1982年には、選手の平均年俸は24万1497ドルにまで上昇しました。[※2]

[※2] 1967年〜2000年までの変遷は「選手年俸に関する各データ」内の「年度別大リーグ選手の平均年俸と最低保障年俸」を参照。(転載元:MLB SCORE エムエルビー・スコア)(本稿末尾に著者加工による同表を掲載)

 因みに、MLBPAのサイトを見てみると、”FAQ” (Frequently Asked Questions) に2015年の平均年俸と最低保障年俸が、それぞれ338万6212ドル/50万7500ドルであると回答されています。(2016年6月7日現在)

Q: What is the average salary of a Major Leaguer?
A: In 2015, the average salary was $3,386,212.
Q: What is the minimum salary of a Major Leaguer?
A: The minimum salary for the 2015 season is $507,500.

 このような選手年俸の急上昇はFA制度の効果だとして、その導入の立役者であるミラーに対しても功罪交えた評価がなされていますが、FA制度には、もう1つ大きな効果があります。チーム間の戦力バランスの均衡化です。戦力バランスの指標である「勝率の標準偏差」(平均勝率からの各チームの勝率のばらつきを示す値で、数値が大きくなるほど戦力バランスが不均衡なことを示す)を調べると、1965年の逆順ドラフト(日本で「ウェイバー方式」と呼んでいる、シーズン終了時のチーム順位を基準とし、どの指名巡目でも常に、最下位のチームから順に選手を指名する方式)の導入を境に大きくその値を下げ、1977年のFA制度の導入により更に値を下げています。FA制度によってそれまではトレードなどに限定されていた人材流動性が一気に高まり、人材獲得のハードルが低くなったことが、戦力バランスの継続的改善の背景にあると考えられています。

 もう一つ、見落としてはならないのはリーグ・球団の収益の向上です。1950年代以降のテレビの普及によって、スポーツをテレビで見る習慣が米国民に定着しました。FA制度が確立された1976年は、まさにMLBのメディア収入が爆発的に伸びていく過渡期でもあったのです。  選手の年俸の上昇は、ほぼメディア収入の上昇と軌を同じくしています。つまり、FA制度は一方的に選手年俸を押し上げたわけではなく、リーグ・球団収入の増大に応じたフェアな分け前を選手側に確保するシステムとして機能したのです。

 いずれにせよ、16年にわたるミラーのMLBPAの委員長としての活動は、MLBにおける選手の地位と権利の向上の歴史であるといえます。それがあって、経営側も収入・収益の向上の努力を重ねてきたともいえます。

 労働者の目線でこの歴史を見ると、労使は対決が不可避の間柄で、時として対決しなければ、労働者の待遇の改善・向上は獲得できないし、企業もビジネスとして行き詰まるということではないでしょうか。


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(※クリックで拡大します)


 編集/八島心平(BIZLAW)


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この連載記事を読む
 スポーツビジネスと法 / 宮田 正樹(一般社団法人GBL研究所 理事)

宮田 正樹

Profile

宮田 正樹 [一般社団法人GBL研究所 理事]

一般社団法人GBL研究所 理事、二松学舎大学国際政治学研究科。1971年大阪大学法学部卒。同年伊藤忠商事株式会社入社。同法務部等を経て、株式会社日本製鋼所法務専門部長兼法務グループマネージャーを歴任。2013年9月末日を以て同社(日本製鋼所)を定年退職。同年10月より一般社団法人GBL研究所理事。2004年より二松学舎大学大学院で「企業法務」について、2008年より2016年2月まで帝京大学で「スポーツ法」について、それぞれ非常勤講師として教鞭を執る。主著に『リスク管理と契約実務』(共著 第一法規、2004年)、『知的財産のビジネス・トラブル Q&A』(共著 中央経済社、 2004年)『リスク管理と企業規程の作成・運用実務』(共著 第一法規、2008年)『プロスポーツ経営の実務』(共著 2011年 創文企画)『現代企業実務 Ⅰ(国内企業法務編)』(共著 2014年 大学教育出版)『法務部員のための契約実務共有化マニュアル』(共著 2014年 レクシスネクシス・ジャパン)『グローバルビジネスロー 基礎研修 Ⅰ 企業法務編』(共著 2015年 レクシスネクシス・ジャパン)など多数。




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