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マービン・ミラーの
「FAへの死闘」(前編)

一般社団法人GBL研究所 理事 宮田 正樹

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スポーツビジネスと法 第3回

 労働法、独占禁止法、契約法、著作権法、商標法……。これらさまざまな法律が複雑に絡み合う、世界でもっともポピュラーなビジネスがあります。それが「スポーツ」ビジネスです。日頃、私達が観賞しているこのスポーツにこそ、その国ならではのビジネス課題や法律問題が潜んでいます。この連載では、スポーツビジネスと法に関する研究の第一人者である宮田正樹先生に、「スポーツビジネスと法」と題して連載をいただきます。
 連載第3回、タイトルは「マービン・ミラーの「FAへの死闘」」。今日、日本のプロ野球でもなじみの深い「FA=フリーエージェント制度」が、どのように生まれていったのか。そこには「世界最強の労働組合」と評される米国メジャーリーグ会長、マービン・ミラーの尽力と闘争の歴史がありました。



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フリーエージェント制度を生んだ
「メッサースミス事件」

カート・フロッド事件(それは「保留制度」から始まった(後編)参照)から3年後、フロッド選手の意思を引き継ぐ2人の選手が現れます。

 
  
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 その1人、ロサンゼルス・ドジャーズのアンディー・メッサースミス 投手は、1974年シーズンにリーグ最多の20勝、最高勝率.769という成績を収め、ナショナルリーグ(NL)最高のピッチャーとして活躍しました。

 しかし、オフの契約交渉でメッサースミスが提案した「トレードに関して事前に選手から了承を得る」という部分で球団が合意せず、交渉が決裂してしまいます。

 
  
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 もう1人は、モントリオール・エクスポズのデイブ・マクナリー 投手です。

 彼はオリオールズに13年間在籍して4年連続20勝を達成した大投手でしたが、74年のオフにエクスポズにトレードされました。しかし、エクスポズから提示された条件が悪かったため、契約書にサインはせず、75年シーズン開幕後に実質的に引退していました。

 そして、それぞれ事情は違えども75年シーズンを契約書にサインせずにプレーした(マクナリーはプレーはしていませんが、エキスポズの在籍選手ではあったので、メッサースミスと共に原告となることを選んだのです)この2名の投手により、MLBの重い歴史の扉が開かれることになります。

 75年シーズン最終日、マービン・ミラーを委員長とするMLB選手会(Major League Baseball Players Association:MLBPA)は両選手の「自由契約選手(Free Agent)」としての立場を認めよとする調停をMLBに申請しました。

 
  
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 マービン・ミラー(Marvin Julian Miller, 1917年4月14日〜2012年11月27日)

 1966年4月、MLBPAが委員長として招聘した労働運動の専門家(全米自動車労組、全米鉄鋼労連などの労働組合のエコノミストとして活動していた)。在任期間中(1966年-1982年)にMLBPAを「世界最強の労働組合」と評されるまでに地位を押し上げた人物として有名。(詳しくは「後編」参照。)

 
  
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 当時のMLBのコミッショナーは、カート・フロッドを冷たくあしらったボウイ・キューンでした(それは「保留制度」から始まった(後編)参照)。

調停制度(Grievance Procedure)は、1968年に労使交渉を通じて初めて設置された制度で、処遇に不満がある選手が苦情申し立てを行えるというものです。設置当初はコミッショナーに最終判断が委ねられていましたが、1970年の労働協約(Collective Bargaining Agreement:CBA)の改定により労使双方に属さない中立的な人間による「第三者調停」が確立されていました(なお、ここまでは「Grievance Procedure=調停制度」と訳していましたが、CBAには当事者間での話し合いがつかない場合には、最終的には「Arbitration」による判断が下されることになっています。本件も最終的には仲裁判断が下されています。ということで、以後本稿では「Grievance Procedure」を「苦情処理・仲裁制度」と訳します)。

 メッサースミスとマクナリーの主張は、「2人は契約書にサインすることなくシーズンを全うしたのであるから、統一選手契約の更新条項の効力はなく、今はどの球団にも所属しない」というものでした。

 調停の行方は調停委員会に委ねられることになりました。主任調停員を務めるピーター・サイツは当初、オーナーと選手に調停を用いずに労使交渉で解決するように促しますが、両者の溝は埋まらず、その4週間後の1975年12月23日「2人の契約は失効しているため、どの球団と契約するのも自由(フリーエージェント)である」という仲裁判断を下しました。

 オーナー達は即座にサイツを解雇するとともに、裁定の無効を訴えて連邦地方裁判所[※1]と巡回控訴裁判所[※2]に提訴しますが、いずれの裁判所も訴えを却下しました。野球界にフリーエージェント制度(Free Agent:FA)が誕生した瞬間でした。1976年3月9日のことです。

[※1 KANSAS CITY ROYALS BASEBALL CORP. v. MAJOR LEAGUE BASEBALL PLAYERS ASS'N 409 F.Supp. 233 (1976) (Final Judgment and Decree February 11, 1976)
[※2] KANSAS CITY ROYALS BASEBALL CORP. v. MAJOR LEAGUE BASEBALL PLAYERS ASS’N 532 F.2d 615 (1976) (Decided March 9, 1976)


FA制度の導入

 サイツの裁定により、誰でも選手契約にサインせずに1年間プレーすればFAになることができることになり、MLBPAの指導により76年には約350名の選手がサインをしないまま春季キャンプに臨んでいました。

 オーナー側は今まで自分達が意のままに操れた選手が突如として反旗を翻したことに大きな憤りを覚え、MLBPAとの労働協約の交渉は暗礁に乗り上げ、76年の春季キャンプを3月1日から3月17日の間ロックアウトするなどして選手側に圧力を加えました。

ロックアウトとは、使用者が労働者の労務提供を拒否することで、多くは、事業場から労働者を退出させることによって行われます。 ロックアウトは、労働者側の争議行為によって、かえって労使間の勢力の均衡が破られ、使用者側が著しく不利な圧力を受ける場合に、使用者側において、このような圧力を阻止し、労使間の勢力の均衡を回復させるための対抗防衛手段として相当であれば、使用者による正当な争議行為として是認されます。ロックアウトが正当であれば、使用者は労働者に対し、賃金支払義務を免じられます。

 ロックアウトは春季キャンプの17日間だけに終わり、労働協約を巡る話し合いは開幕後も続けられました。球団側はFAまでの期間は「10年」に拘りましたが、これに納得しない選手側は5月を過ぎても350名の選手が選手契約へのサインを拒否し続けました。そのまま行けば、シーズンが終われば大量のFA選手が出現することになります。  しかし、無条件に大量のFA選手が市場に溢れれば、需給バランスから選手給与が逆に下がるのではないかとの危惧をMLBPAは持っていました。

 当時のMLBPA委員長であったマービン・ミラーは、自伝『FAへの死闘』において次のように回想しています。

「(サイツ裁定による)大きな反響は、実は、諸刃の剣だった。オーナー側から見れば、大変な財産を失う危機にさらされていることになる。しかし、その逆に、毎年大量のFAが生まれれば報酬アップという組合の大目的を損なう可能性があった。ただ、幸いにも、このことに気づいていたのはオーナーの間ではいつも軽んじられているオークランドのチャーリー・フィンリーだけだった。」

 こうして、FAまでの期間を「6年」とすることにより労使間で妥協し、1976年7月12日、オールスター休みの前夜に合意が成立しました。合意書には、FA制度のみならず新しい年金制度など新労働協約(CBA)に盛り込まれるべきすべての変更事項が列記されました。新CBA(Basic Agreement 1976-1979)は1976年7月12日付で締結されています。

 MLBの選手達は、労働者としての「実力」でもって奴隷条項に風穴を開けたのでした。


MLBPAを後押しした
法的背景

 MLBPAがFA制度を勝ち取った背景には、後編で紹介するマービン・ミラーの指導力に加え、1935年に制定された全国労働関係法の存在とアメリカの労使関係を形作っている2つの特徴があります。

 まずは労使関係を形作っている2つの特徴、すなわち「排他的交渉代表制度」と「仲裁尊重法理」について簡単に紹介し、続けて「全国労働関係法」について詳しく紹介します。

(1) 排他的交渉代表制度(Exclusive Representation)
 アメリカでは、労働組合が使用者と団体交渉をするためには、職場、企業など一定の交渉単位(Bargaining Unit)内の労働者の過半数の支持が必要であり、この代表権限を得た組合が単位内の交渉権限を獲得する制度となっています。
 使用者はこの排他的交渉代表権を有する組合とのみ交渉すればよいのです。(労働者個人や他の組合との交渉を拒絶できます。)
 排他的交渉代表権を有する組合と使用者との間で締結された労働協約がその単位内のすべての労働者に適用されます。
 MLBの場合、「Collective Bargaining Agreement」(包括的労働協約)が全球団とMLBPAとの間に交わされ、選手契約や待遇などに関する労働協約として機能しています(他のプロリーグ、NFL/NBA/NHL、も同様です)。

(2) 仲裁尊重法理(Trilogy principles)
 「集団的労働紛争はできるだけ仲裁によって解決を図るべきであって、苦情内容の実体判断は裁判所ではなく、仲裁に付託し仲裁人に委ねるべきである、仲裁に服する事項かどうかの判断に関して、疑わしきは仲裁可能とする、仲裁人が仲裁裁定を下した場合、当該裁定が協約からその本質を引き出している限り、これを尊重し、裁判所は自らの解釈と異なるからといって仲裁人の裁定を覆すべきではない」という、裁判所のルールです。
 労働協約を単なる契約を超えた「労働自治システム」とみなし、労使間による自主的・実体的解決が労使紛争にとってもっとも望ましいという連邦最高裁の判例(「スチールワーカー三部作」)から引き出された考え方で、より詳しくは下記のとおりです。

① 仮に申立人が主張する苦情の理由が労働協約に照らし合わせて理由がないと思われる場合でも、裁判所はとにかく仲裁付託を命じ、仲裁人の判断を仰がねばならない。
② 申立人が主張する苦情の理由が仲裁対象事項であるかは裁判所が判断するとしても、裁判所は労働協約において明確に規定されている場合を除き、仲裁可能性を推定する。
③ 裁判所は仲裁人の労働協約解釈が誤っているように見える場合であっても、当該解釈が労働協約の「解釈」の枠内にあると認められる限り、裁定の履行を命じなければならず、独自の協約解釈を示して、裁定の効力を否定することはできない。

「スチールワーカー三部作」(STEEL WORKERS TRILOGY)
(1) United Steelworkers v. American Mfg. Co., 363 U.S. 564 (1960)
(2) United Steelworkers v. Warrior & Gulf Navigation Co., 363 U.S. 574 (1960)
(3) United Steelworkers v. Enterprise Wheel & Car Corp., 363 U.S. 593 (1960)

(3) 全国労働関係法(National Labor Relations Act:NLRA)
 日本でいうと、労働組合法に相当する法律で(実際は、日本の労働組合法がNLRAをモデルとしているのですが)、労働者の団結権と代表者による団体交渉権を保障し、不当解雇、御用組合、差別待遇を禁じ、また雇用主による不当労働行為の禁止を規定した連邦労働法の1つで、ニューディール政策で有名なフランクリン・ルーズベルト大統領の下で、1935年に制定されました。起草者である米国民主党連邦上院議員、Robert Ferdinand Wagnerの名前を取って「ワグナー法」と呼ばれています。

 本連載第2回「それは「保留制度」から始まった(前編)」において、「アメリカ憲法には人権規定が非常に少なく、「職業選択の自由」も明文上の規定は、憲法にはありません」と書きましたが、労働基本権(日本国憲法第28条のいわゆる労働三権:団結権、団体交渉権、団体行動権)のようなものもアメリカ憲法には定められていません。コモンロー(判例法)の国らしいというべきなのでしょうかねぇ。
 NLRAは、従業員に雇用者と交渉できる力を与える目的で作られ、従業員に労働組合を結成する権利を与え、雇用条件を改善する目的のストライキなどの諸活動を労使双方に認めています。労働者の団結権の保護の中心となるのは、同法の第7条と第8条です。

第7条(労働者の権利)
「(労働者は)団結する権利、労働団体を結成・加入・支援する権利、自ら選んだ代表を通じて団体交渉を行う権利、および、団体交渉またはその他の相互扶助ないし相互保護のために、その他の団体行動を行う権利」を有する。

第8条(不当労働行為の禁止)
「第7条に定められた労働者の権利行使に対する干渉、妨害、または威圧」および「採用や雇用条件に関する差別によって、労働団体の組合員たることを抑圧または推奨すること」

 NLRAは、企業や労働組合からの不当な処遇や行為、つまり不当労働行為から労働者(従業員:条文上は「employees」と書かれています。)を守っており、下記のような労働者の権利が記述されています。

 ① 労働者が組合を組織化する権利(組合組織権)
 ② 企業側に対して団体で労働交渉を行う権利(団体交渉権)
 ③ 労働者は組合を通してもしくは組合とは別に賃金やその他労働条件を個別に企業と     交渉する権利
 ④ 組合に加入しない権利
 ⑤ 職場から組合をなくす権利、など

 NLRAのもう1つの柱は、上記(1)に挙げた排他的交渉代表制度(Exclusive Representation)です。NLRAは、「団体交渉のために適切な単位の労働者の過半数によって指名または選出された 代表者は、雇用条件にかかる団体交渉の目的について、その単位のすべての労働者の排他的な代表となる」と定めています(第9条(a))。

 つまり、 交渉単位における過半数によって唯一の交渉労働組合を決するのです。そして、交渉代表の地位を獲得した組合は、その反面で、義務として、交渉単位内の全労働者を公正に代表する義務(Duty of Fair Representation)を負います。過半数の労働者は支持しても、少数の不支持者にとっては、当該代表組合による交渉の結果などが差別的恣意的になるおそれが生じることを考慮してのことです。この義務は、法文上明記されているわけではなく、判例(Steel v. Louisville & Nashville R. R., 323 U. S. 192 (1944))によって形成された解釈によるものです。

 全国労働関係法に基づき創設された全国労働関係局(National Labor Relations Board:NLRB)が、同法に基づく民間企業、労働組合と従業員の関係を監督しています。
 排他的交渉代表制度との関係でいうと、労働組合が使用者と合法的な団体交渉を行うためには、同種の職務と雇用形態にある労働者が交渉単位としての認定をNLRBから受けたのち、その労働者の30%以上から賛成を得る必要があります。そのうえで、その交渉単位の労働者が投票を行い、過半数を超えればその労働者が属する労働組合が使用者と合法的に団体交渉を行うための権利を得ることができるのです。

 なお、労働者だけでなく使用者・企業もNLRAに守られています。例えば、労働組合が意図的に生産力を低下させたり、従業員を増やすように要求することなどを禁止しているのです。

 NLRAは労働者すべてに適用されているわけではなく、適用を除外される職種があります。以下がその例です。

 ①農業従事者 ②家内工業の家族従業員 ③請負人 ④中間管理職者 ⑤鉄道や航空労働法が適用される企業の従業員 ⑥公務員 ⑦雇用主と定義されない者に雇われた者 など

 また、NLRAは連邦法ですので、シャーマン法などの反トラスト法と同様、州際取引に従事している企業・労働者にしか適用されないことになります。


選手会の
労働組合化の歴史

ブラザーフッド・オブ・プロフェッショナルベースボール・プレイヤーズ
 野球選手による労働組合の結成の歴史は、1885年にモンテ・ウォード選手が中心となり結成した「ブラザーフッド・オブ・プロフェッショナルベースボール・プレイヤーズ:Brotherhood of Professional Baseball Players」に始まります。この組合は、後に(1890年)新リーグ・プレイヤーズ・リーグへと変身し、同リーグは1年間で消滅しました。

プレイヤーズ・プロテクティブ・アソシエーション
 次に結成されたのは、1900年にチーフ・ジンマー選手が中心となり結成された「プレイヤーズ・プロテクティブ・アソシエーション:Players Protective Association」でした。
 この組合は、1901年のアメリカン・リーグ(AL)新設に寄与するところがありましたが、1903年にナショナル・アグリーメントが締結されALとNLが手を結んだことにより、存在価値を失い、消滅しました。

フラタニティー・オブ・プロフェショナルベースボール・プレイヤーズ
 フェデラル・リーグの創設が噂され始めた1912年9月、MLB第3番目の労働組合「フラタニティー・オブ・プロフェショナルベースボール・プレイヤーズ:Fraternity of Professional Baseball Players of America」が元・大リーガーの弁護士・デイブ・フルツを中心に結成されます。この組合も、1914年のフェデラル・リーグ設立によるリーグ間のパワーゲームの中で存在感を示しましたが、1915年にフェデラル・リーグが消滅したことにより、急速に力を失い、1917年、アメリカの第1次世界大戦への参戦と共に消滅しました。

ナショナル・ベースボールプレイヤーズ:・アソシエーション
 1922年には「ナショナル・ベースボールプレイヤーズ:・アソシエーション:National Baseball Players Association of the United States」が結成されましたが、オーナー達による恫喝と懐柔により、何をなすことなく半年余りで消滅しました。

アメリカン・ベースボール・ギルド
 第2次世界大戦後の1946年「アメリカン・ベースボール・ギルド:American Baseball Guild」が元NLRBの職員(審査員)であった弁護士・ロバート・マーフィーにより結成されました。この組合は約1年間と短命ではありましたが、①年金制度の導入、②選手の最低保障年俸を5,000ドルに設定、③減俸幅の上限を25%にシーリング、④週$25の春季キャンプ手当の支給(この手当は「マーフィー・マネー:Murphy money」と呼ばれました。)など、選手の待遇の改善に成果を上げました。その背景には、第2次世界大戦後の社会情勢と労働運動の盛り上がり、更には、メキシカン・リーグの台頭がありました。

メキシカン・リーグは、1925年にメキシコで設立されたプロ野球リーグでMLBとはまったく別の独立したプロ野球組織です。今でこそ、MLBから「AAAクラス」とみなされていますが、設立以来、保留制度に不満を持つMLBの選手の行き場所・受け皿として、常にMLBの潜在的な対抗勢力でした。この時期(1946年)は、メキシコの百万長者・ジョージ・パスカルが、金にものをいわせ、MLBから数々の有力・有名選手を引き抜いてメキシカン・リーグをMLBの対抗リーグに変身させようという企てが進行していました(結局企ては失敗しましたが)。

メジャーリーグベースボール・プレイヤーズ・アソシエーション
 そしてMLBPAの結成となるわけですが、その端緒は1953年、選手側が求めたオーナー側による選手の年金制度の一方的な運営の是正や最低保障年俸($5,000のままだった)のアップ、更には選手代表(「プレイヤーズ・コミッショナー」)のリーグ会議への出席などの要求をオーナーがけんもほろろに拒絶したことにあります。これに反発した選手達は、弁護士・ノーマン・ルイスを雇い、彼を代理人としてオーナー側との交渉に入りました。オーナー達は、これを「労働組合を結成するものだ!」と非難しました。
 翌年(1954年)、選手達はMLBPAを結成しました。ルイス弁護士はMLBPAの法律顧問として、引き続き選手達の代理人としてオーナー側との交渉に当たりました。

 しかし、この時点でのMLBPAは、真に「労働組合」と呼べるようなものではありませんでした。ノーマン・ルイスも後に「労働組合の結成を目指すものではなかったし、私もそのようには助言していない。選手達の情報交換のための緩い結束に過ぎなかった。」と証言しています。 事実、1966年にマービン・ミラーが委員長として招聘されるまでは、MLBPAはいわば「御用組合」であり、その運営費をオーナー側から提供してもらっている存在でした。 MLBPAの結成および選手達の代理人として最低保障年俸を$6,000に引き上げることにも貢献したノーマン・ルイスも、1959年、オーナー達の圧力に負けたのであろう選手達によって解任されています。

 続く後編ではいよいよ、米国メジャーリーグ選手会を労働組合と為した立役者であるマービン・ミラーの活躍の軌跡を追っていきます。


 編集/八島心平(BIZLAW)


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この連載記事を読む
 スポーツビジネスと法 / 宮田 正樹(一般社団法人GBL研究所 理事)

宮田 正樹

Profile

宮田 正樹 [一般社団法人GBL研究所 理事]

一般社団法人GBL研究所 理事、二松学舎大学国際政治学研究科。1971年大阪大学法学部卒。同年伊藤忠商事株式会社入社。同法務部等を経て、株式会社日本製鋼所法務専門部長兼法務グループマネージャーを歴任。2013年9月末日を以て同社(日本製鋼所)を定年退職。同年10月より一般社団法人GBL研究所理事。2004年より二松学舎大学大学院で「企業法務」について、2008年より2016年2月まで帝京大学で「スポーツ法」について、それぞれ非常勤講師として教鞭を執る。主著に『リスク管理と契約実務』(共著 第一法規、2004年)、『知的財産のビジネス・トラブル Q&A』(共著 中央経済社、 2004年)『リスク管理と企業規程の作成・運用実務』(共著 第一法規、2008年)『プロスポーツ経営の実務』(共著 2011年 創文企画)『現代企業実務 Ⅰ(国内企業法務編)』(共著 2014年 大学教育出版)『法務部員のための契約実務共有化マニュアル』(共著 2014年 レクシスネクシス・ジャパン)『グローバルビジネスロー 基礎研修 Ⅰ 企業法務編』(共著 2015年 レクシスネクシス・ジャパン)など多数。




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