MENU
BIZLAW BIZLAW
Powerd by LexisNexis®
BIZLAW
BIZLAW Powerd by LexisNexis®

RSS
Google+
Twitter
Facebook
HOME

それは「保留制度」から始まった
(後編)

一般社団法人GBL研究所 理事 宮田 正樹

sportslaw_main02

スポーツビジネスと法 第2回

 労働法、独占禁止法、契約法、著作権法、商標法……。これらさまざまな法律が複雑に絡み合う、世界でもっともポピュラーなビジネスがあります。それが「スポーツ」ビジネスです。日頃、わたしたちが観賞しているこのスポーツにこそ、その国ならではのビジネス課題や法律問題が潜んでいます。この連載では、スポーツビジネスと法に関する研究の第一人者である宮田正樹先生に、「スポーツビジネスと法」と題して連載をいただきます。
 連載第2回、タイトルは「それは「保留制度」から始まった」。アメリカのプロ野球ビジネスにおいて切っても切り離せない「保留制度」を、前後編に分けて掘り下げていきます。



 関連記事
  スポーツビジネスと法 第1回 めくるめくスポーツビジネス法の世界(前編)
  スポーツビジネスと法 第1回 めくるめくスポーツビジネス法の世界(後編)
  スポーツビジネスと法 第2回 それは「保留制度」から始まった(前編)




フェデラル・ベースボールクラブ事件
(1922年連邦最高裁判決)に見る
反トラスト法違反への司法判断

  • 1922年 Federal Baseball Club of Baltimore, Inc. v. National League of Professional Baseball Clubs et al., 259 U.S. 200 (1922)

 1914年に開幕した新興リーグであるフェデラル・リーグは、各球団(8球団)が合流して1つの会社(Federal League of Professional Baseball Clubs)としてリーグを組成するというユニークな組織形態(注1)で発足しました。

(注1)後年”single entity”として反トラスト法の適用除外を主張する理論が出てきますが、その先駆けのようなリーグの形態です。

 フェデラル・リーグは、当初NLやALのナショナル・アグリーメントに加盟しようとしましたが、NLとALがこれを拒絶したので、フェデラル・リーグはシーズン中にNLやALに在籍の選手の引き抜きを進めました。これに対しNLやALは保留制度を基に選手の流出阻止を図り、1915年に入ると、フェデラル・リーグの選手契約に関して露骨な妨害の圧力を加えだしました。NLとALは、フェデラル・リーグそのものを消滅させようと考えていたのです。

 あまり手口の酷さに、それを阻止するためフェデラル・リーグはNL・ALの行為はシャーマン法違反だとして訴訟を提起しました。しかし、この訴訟は、後にMLBの「初代コミッショナー」となった判事ケネソー・マウンテン・ランディス(彼も、いずれこの連載に主役として登場してきます)により葬られます。

 ランディスは「反トラスト法の専門家」(注2)として有名な判事であり、フェデラル・リーグ側のオーナー達も期待するところ大でありました。ところが、ランディスは無類の野球(NLおよびAL)好きであり、「『野球(Baseball)』と呼ばれるものに加えられる攻撃は、この法廷では、国家機関に対する攻撃と見なすものと承知せよ!」との声明を発した上、判決まで1年の猶予期間を設けるなど、依怙贔屓した訴訟指揮によりフェデラル・リーグの訴えは棚晒しにされることになったのです。その間にフェデラル・リーグの球団オーナーの大半がNL・ALの切り崩しを受け、球団をNLやALの球団オーナーに売却するなどして和解に応じた結果、1915年末にフェデラル・リーグは消滅してしまいました。

(注2)「スタンダード・オイル」の反トラスト法違反裁判の第1審の判事として1907年に$29,240,000の罰金刑を下したことでも有名。

 フェデラル・リーグの球団オーナーの中で唯一切り崩しに応じなかった球団・ボルチモア・テラピンズのオーナー達(ネッド・ハンロンを筆頭株主とする運営会社がフェデラル・ベースボールクラブ・オブ・ボルチモア:Federal Baseball Club of Baltimore, Inc.)は1916年にNLとALおよびその所属球団を反トラスト法違反で訴えました。これがフェデラル・ベースボールクラブ事件です。

 第1審であるコロンビア州地裁は、原告(フェデラル・ベースボールクラブ)側の主張を認め、1919年4月にNL・AL等に24万ドルの損害賠償(認定された8万ドルの損害賠償額に、クレイトン法による3倍賠償が適用された結果)を命じる判決を下しました。

 しかし、この判決は控訴審で覆されます。

 控訴審では、プロ野球にシャーマン法が適用されるのか?が争点となりました。
 下記にシャーマン法第1条の全文を掲載しますので、ご参照ください。

[シャーマン法第1条のフル・テキスト]
Every contract, combination in the form of trust or otherwise, or conspiracy, in restraint of trade or commerce among the several States, or with foreign nations, is declared to be illegal. Every person who shall make any contract or engage in any combination or conspiracy hereby declared to be illegal shall be deemed guilty of a felony, and, on conviction thereof, shall be punished by fine not exceeding $10,000,000 if a corporation, or, if any other person, $350,000, or by imprisonment not exceeding three years, or by both said punishments, in the discretion of the court.
(青字部分の日本語訳:「州際もしくは外国との取引又は通商を制限するすべての契約、トラスト(信託)その他の形態による結合又は共謀は、これを違法とする」)


 1920年、コロンビア州控訴裁判所は、大略、次の理由を挙げてプロ野球はシャーマン法の適用対象とはならないとの判断を下し、地裁の判断を覆しました。

  1. 取引(trade)も通商(commerce)も、「物の交換や売買」を意味するのであって、野球の試合を観覧させることはシャーマン法が規制する「取引」や「通商」には当たらない、

  2. 野球の試合(game)は、球場で行われており、終始一貫1つの地域内で催されるものであって、「州をまたがる(among the several States)」取引でも、「外国(with foreign nations)」との取引でもなく、また、試合そのものは「物の交換」が行われていない。

 裁判所は、この判断を下すにおいて、チェイス事件の判決を充分吟味しているとも述べています。

 フェデラル・ベースボールクラブ側は、この判決に納得できるはずはなく、連邦最高裁判所に上告しました。しかし、1922年、連邦最高裁判所は「大リーグは野球というスポーツを観客に見せるものであって、純然たる州の催し物である(観客が州を越えて入場料を支払い観戦するとしても、州内取引という性質を失わせるものではない)」と判示し、州際取引のみを規制対象とするシャーマン法の適用はないとの判決を下しました。以後、連邦最高裁はMLBを反トラスト法の対象外に置いたとの判断が定着することになりました。

 この判断は「Baseball Exemption」(野球に対する反トラスト法適用免除特例)と呼ばれ、現在に至るまで、MLBに他のスポーツビジネスとは別格の法的取扱いを享受させています。


serial_sportslaw_02_02_image01

(フェデラル・リーグの試合風景)(※)
(※ Baseball Monopoly – Northern Illinois University.pptより転載)


トゥールソン事件(1953年連邦最高裁判決)
に見る連邦最高裁意見の変遷の兆し

  • 1953年 Toolson v. New York Yankees, 346 U.S. 356 (1953)

 フェデラル・ベースボールクラブ判決以降において、最高裁まで闘った選手の戦いの第1弾です。

 ニューヨーク・ヤンキース傘下のニューワーク・ベアーズに所属するマイナーリーグの選手(投手)ジョージ・トゥールソン(George Earl Toolson)は、戦力の豊富なヤンキース以外のチームであれば自分もメジャーリーグのマウンドを踏めると信じており、球団に移籍を求めましたが保留制度によりこれを阻まれ、ベアーズの更に格下のマイナーチームへの異動を命じられたのでこれを拒否し、訴訟を起こした事件です。

 この訴訟も連邦最高裁まで争われましたが、フェデラル・ベースボールクラブ事件で下された「MLBのビジネスは州際取引ではない」との最高裁判例が踏襲され、反トラスト法違反とは認められませんでした。しかし、注目されるのは、このとき連邦最高裁の9人の判事のうち2人が反対意見を述べていることです。

 反対した2名の判事(ハロルド・バートン判事とスタンリー・リード判事)は、MLBに対する反トラスト法の適用除外を、大略次のように批判しています。

 「フェデラル・ベースボールクラブ判決から30年以上経過した現在において、MLBの野球興行が州際取引ではないという判断には同意できない。カナダ、メキシコ、キューバにまで広がっているMLBの野球興行が憲法やシャーマン法に定める「州際取引」ではないと主張することは事実に反する。議会においてMLBをシャーマン法の適用除外とするという法律は定められたことはないし、司法の場において(MLBのように)高度に組織化され且つ州にまたがって市場独占的なスポーツ組織を黙示的にでもシャーマン法の適用除外と認めた例はない。」


カート・フロッド事件(1972年連邦最高裁判決)
から生まれた「カート・フロッド法」

  • 1972年 Flood v. Kuhn, 407 U.S. 258 (1972)

 カート・フロッド選手は、メジャーリーガーとしてのキャリアをほぼセントルイス・カージナルスだけに捧げた黒人外野手で、15年のメジャー生活で3割以上の成績を6度残し、3度のリーグ優勝と2度のワールドシリーズ優勝に貢献しました。スポーツイラストレイテッド誌は、1968年に「史上最高の中堅手」とのキャプションつきでフロッド選手の自画像を表紙に飾ったほどです。この年(1968年)、3万ドルの昇給を求めたフロッドにオーナー(ガ−スト・ブッシュ)は激怒し、それを拒絶すると共にフロッドに対する報復を誓いました。その翌年(1969年)、シーズン終了直後に、同選手にフィラデルフィア・フィリーズへのトレードが通告されました。当時はまだフィラデルフィアは人種差別の激しい町で、しかもそのトレードはフロッドに事前相談なく決められ、フロッド選手は新聞記者からの電話でその事実を知ることになります。

  11年にわたりセントルイス一筋でプレーしてきたフロッド選手は、当時のコミッショナーのボーイ・キューンにトレード無効を嘆願する手紙を書きました。その手紙には、「メジャーリーグでのプレーも12年が経ち、私は自分が、自分の意志と無関係に売り買いされるひとつの商品だとは思っておりません。結論を出す前に、他球団の希望も検討したいと考えています」としたためられていました。

 しかし、キューンは球団側に立ち「君は、トレードに応じるか、野球界を去るかしかない」と冷たく突き放しました。頭にきたフロッドは保留制度の維持の片棒を担いだボウイ・キューンを球団らとともに被告とし、「保留制度はシャーマン法に違反する」としてその撤廃を求めて提訴しました。この訴訟は、次回(第3回)に主役として登場するマービン・ミラーが既に委員長に就任していたMLBの選手会(Major League Baseball Player’s Association:MLBPA=選手の労働組合)の支援を受けて進められました。

(※ Curt Flood, Collective Bargaining, and the Struggle for Free Agency – CurtFloodandFreeAgencyFree Agency.pptより転載)

 この訴訟も連邦最高裁まで争われましたが、1972年、連邦最高裁は5:3の評決でフロッドの主張を退けました。フェデラル・ベースボールクラブ事件の判例が維持されたわけです。

 この判決の中で最高裁判所のブラックマン判事は、MLBの反トラスト法適用除外は「例外的であり変則的である」とし(注3)、更に「プロ野球は事業であり、州際取引に関与している」ことを認め、フェデラル・ベースボールクラブ事件での判決の根拠を否定しながらも、「stare decisis:先例拘束性の原理」(それまでになされた自らや上位の裁判所の判決に拘束されるという原則)を勘案した結果、「あまりにも多くの長期的な関わり合いが1922年の判決に基づいて存在しており、適用除外を取りやめるのは困難だ」としています。そして、「MLBが反トラスト法の範疇外に置かれていることは常軌を逸している(aberration, anomaly)かも知れない」が、それは立法府(議会)によって解決されるべきであり、裁判所はこれに関知しない、と注目すべき意見(注4)を述べています(判断を「逃げた」ともいえるのですが)。

(注3)1957年には、NFL等、MLBを除くすべてのプロスポーツ・ビジネスは反トラスト法の対象となるという、「ラドヴィッチ判決」(Radovich v. National Football League (NFL), 352 U.S. 445 (1957))が連邦最高裁判所で下されています。この事件については本連載でいずれ取り上げることになります。

(注4)この意見は、1998年に、その名も「カート・フロッド法」としてやっと現実化され、同法において「MLBの選手の雇用に直接関係する問題についての関係者の行為、策略、合意で、他のプロスポーツにおいてなされたなら反トラスト法違反となるものについては、反トラスト法の適用除外とはならない」という規定が定められました。
しかし、同法は「雇用関係に関する事項のみ」と対象が限定されており、その他の事項については引き続きMLBの特別扱い(反トラスト法の適用除外)が生きているとの解釈が続いています。

 以上のように、連邦最高裁の判例による反トラスト法の適用除外という大きなハンデを負ったMLBの選手達が、保留制度という大きな壁にフリーエージェント制度という風穴を開けたのは、訴訟によってではなく、労働法に基づき、経営に対する労働者としての闘争(労使交渉)を行うことによってでした。次回(第3回)は、労働者としての選手の闘いと、それを支えたアメリカの労働法について紹介します。

 以下に、本稿で取り上げた保留制度の歴史をまとめましたのでご参照ください。


serial_sportslaw_02_02_image04

(※クリックで拡大します)


 編集/八島心平(BIZLAW)


book_global_businesslaw

グローバルビジネスロー基礎研修 1企業法編
Basic Training of Global Business Law 1 Business Law

井原 宏 / 河村 寛治(編著)
定価:¥5,600+税

出版社:   レクシスネクシス・ジャパン
ISBN-13:  9784908069338
発売日:   2015/11/12




この連載記事を読む
 スポーツビジネスと法 / 宮田 正樹(一般社団法人GBL研究所 理事)

宮田 正樹

Profile

宮田 正樹 [一般社団法人GBL研究所 理事]

一般社団法人GBL研究所 理事、二松学舎大学国際政治学研究科。1971年大阪大学法学部卒。同年伊藤忠商事株式会社入社。同法務部等を経て、株式会社日本製鋼所法務専門部長兼法務グループマネージャーを歴任。2013年9月末日を以て同社(日本製鋼所)を定年退職。同年10月より一般社団法人GBL研究所理事。2004年より二松学舎大学大学院で「企業法務」について、2008年より2016年2月まで帝京大学で「スポーツ法」について、それぞれ非常勤講師として教鞭を執る。主著に『リスク管理と契約実務』(共著 第一法規、2004年)、『知的財産のビジネス・トラブル Q&A』(共著 中央経済社、 2004年)『リスク管理と企業規程の作成・運用実務』(共著 第一法規、2008年)『プロスポーツ経営の実務』(共著 2011年 創文企画)『現代企業実務 Ⅰ(国内企業法務編)』(共著 2014年 大学教育出版)『法務部員のための契約実務共有化マニュアル』(共著 2014年 レクシスネクシス・ジャパン)『グローバルビジネスロー 基礎研修 Ⅰ 企業法務編』(共著 2015年 レクシスネクシス・ジャパン)など多数。




ページトップ