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それは「保留制度」から始まった
(前編)

一般社団法人GBL研究所 理事 宮田 正樹

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スポーツビジネスと法 第2回

 労働法、独占禁止法、契約法、著作権法、商標法……。これらさまざまな法律が複雑に絡み合う、世界でもっともポピュラーなビジネスがあります。それが「スポーツ」ビジネスです。日頃、わたしたちが観賞しているこのスポーツにこそ、その国ならではのビジネス課題や法律問題が潜んでいます。この連載では、スポーツビジネスと法に関する研究の第一人者である宮田正樹先生に、「スポーツビジネスと法」と題して連載をいただきます。
 連載第2回、タイトルは「それは「保留制度」から始まった」。アメリカのプロ野球ビジネスにおいて切っても切り離せない「保留制度」を、前後編に分けて掘り下げていきます。



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”national pastime”(国民的娯楽)
としての野球

 野球(Baseball)はアメリカ人にとって”national pastime”(国民的娯楽)だといわれています。そのルーツは、イギリスのクリケットだとか、いや、ラウンダーズだとかいわれていますし、いやいや、それらから派生したタウンボールだよという説もあったりし、定かではありません。
 そのルーツはともあれ、少なくとも南北戦争前には現在とほとんど変わらないルールで楽しまれており、兵士達は戦闘の合間に野球に親しむことも多く、南北戦争終了後に故郷に帰った兵士達により、全米に広がったといわれています。

 そのような歴史から、アメリカにおける最初のプロ・チームスポーツが「プロ野球」であることは異論のないところです。1869年に最初のプロチームである「シンシナティ・レッドストッキングス」がヘンリー・ライトによって結成されています。そして、1871年に最初のプロ野球リーグである「ナショナル・アソシエーション(National Association of Professional Base Ball Players)」が創立されました(この最初のリーグは、なぜか「メジャーリーグ」とは認定されていないようです)。

 そして、1876年に、現在もメジャーリーグ・ベースボール(Major League Baseball、以下「MLB」)の一翼を担って存続している“最初のメジャーリーグ”「ナショナル・リーグ」(National League、以下「NL」)がウィリアム・A・ハルバートにより結成されました。類い希な経営者であったハルバート(彼はプロ野球チーム・シカゴ・ホワイトストッキングスのオーナーでもありました)は、1876年2月2日に他の7球団のオーナー達をニューヨークのグランド・セントラル・ホテルの会議室に集めると、会議室にカギをかけ、そのカギを窓から外に放り投げて、オーナー達を監禁状態にしてリーグ結成への同意に追い込んだといいます。

 このとき、ハルバートが提案し、後に「グランド・セントラルでの規約」と呼ばれるリーグおよびチーム経営の基本原則が次の8つです。

  • リーグの統治機構はオーナーと理事長で構成する(全8チーム中からくじで選ばれた5チームで理事会(The Board)を形成する)。
  • 理事会がルールの執行と懲戒処分の権限を有する。
  • 選手を統治機構から排除し、契約で厳格に拘束する。
  • フランチャイズを人口75,000人以上の都市に限定し、チームに地域独占営業権を付与する。
  • チームに試合日程の作成と消化を義務づける。
  • 全球場一律の入場料金を設定する。
  • 日曜日の試合、飲酒、賭博を禁止する。
  • 有給のアンパイアの雇用を義務づける。

 そして、ハルバートらオーナー達が1879年に新たに打ち出した政策が「保留制度(Reserve System)」でした。


「奴隷条項」としての
保留制度の導入

 保留制度とは、「毎年シーズンが終わっても、球団は翌シーズンの戦力となる選手を引き続き拘束しておくことができ、その間、他チームには当該選手を獲得することを禁じる制度」です。球団に保留権を行使された選手は、その球団と次シーズンの契約を締結するか、(他の球団には入団することができないので)1年間選手生活を棒に振る以外に選択の道は無いことになります。また、次シーズンの契約交渉において報酬のアップなど待遇改善を申し出ても、球団側は「契約条件が折り合わない場合には、前年度の報酬を下回らない条件でなら、契約未成立でも、次シーズンも当該選手を起用することができる」ことになっているため、選手は報酬のアップを勝ち取ることもままなりません。すなわち、保留制度により、選手は「戦力」と見なされている限り、球団からの拘束を受け続ける(選手の自由意志で他球団に移ることができない)ことになるのです。

 このような制度を導入した理由は、(NLの結成以前から)アメリカのプロ野球では、シーズン中に球団から球団に渡り歩く選手、あるいは優秀な選手を引き抜く球団が続出したため、ファンの興味がそがれ、興行が危機に瀕していたことにあるとされています。優勝の望みのなくなった球団から次々に選手が出て行ってしまったら、公正なリーグ戦は成立しません。そこで、保留制度を導入したのだというのですが、ハルバート等球団オーナーの本心は、選手の報酬の高騰を抑えることにあったようです。

 以来、この保留条項は長きにわたり選手の移籍の自由を制限し続け、競争原理の欠如から選手の給与は人為的に低く抑えられていくことになります。その後、別名「奴隷条項」とも呼ばれた保留条項に風穴が開けられ、フリーエージェント(FA)制度の誕生(1976年)によって選手が転職の自由を手にするまでに約1世紀もの時間を要することになりました。

 「保留制度」は、選手と球団との間で取り交わされるいわば雇用契約である選手契約(全球団とも同じフォームの「統一選手契約」が用いられます)の条文の中で「契約の継続更新」条項として、また、球団の集合体であるリーグの規約(日本における「野球協約」)で球団間での選手獲得の制限(保留選手を獲得してはならない)を規定することにより、制度化されていました。
 1879年に1球団当たり5名の保留選手枠から始まった保留制度は、1983年には11名にまで枠が拡大し、1886年には12名に、1887年には14名にと、どんどん広がっていきました。

 保留制度とは球団が契約した選手に対して、契約期間内に他球団でプレーすることを禁止するというもので、簡単に言えば転職を禁止するものです。これは、普通に考えると「職業選択の自由」の侵害であり、労働法の精神に反するものです(アメリカ憲法には人権規定が非常に少なく、「職業選択の自由」も明文上の規定は、憲法にはありませんが)。
 同時に、球団という企業が共謀して(談合して)そのような取り決めを行ったという意味では、反トラスト法(日本でいえば「独占禁止法」)違反の問題でもあります。

 アメリカにおける野球の誕生からリーグ創世記の流れを示すと、以下のようになります。


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※画像をクリックするとPDFでご覧いただけます

保留制度に対する
初期の挑戦 

 このような制度に選手達がいつまでも黙って従っているはずはありません。保留制度に関する最古の訴訟は1890年に遡り、次々と判決を下されています。

  • 1890年 Metropolitan Exhibition Co. v. Ward, 9 N.Y.S. 779 (N.Y. Sup. Ct. 1890)
  • 1890年 Metropolitan Exhibition Co. v. Ewing, 42 F 198 (Circuit Court, S.D.N.Y. 1890)
  • 1890年 Philadelphia Ball Club v. Hallman, 8 Pa. County Ct. 57 (1890)


 これらの訴訟のきっかけは、1885年に全米初の野球選手組合「The Brotherhood of Professional Baseball Players」を組織したジョン・モンゴメリ・”モンテ”・ウォード(John Montgomery “Monte” Ward)選手が中心となり、1890年に新リーグ「プレーヤーズ・リーグ」が結成され、モンテ・ウォード選手をはじめとする多くのNL所属の選手が新リーグへの移籍を決めたことにあります。

 モンテ・ウォード選手に対し球団側が起こした選手契約(保留条項)に基づく移籍差止請求訴訟が、上記Metropolitan Exhibition Co. v. Wardです。このとき、ニューヨーク控訴裁判所は「(選手契約の保留条項の規定は)翌年度の契約条件が不明確である(the contract is indefinite and uncertain)」、更に、球団側は翌年度までも選手を拘束できるのに、10日前の通知によりいつでも選手を解雇できるというこの選手契約は「一方的で相互性に欠ける(lack of mutuality)」として、このような選手契約には拘束力がないので、球団の差止請求は認められないと判断しました。


 同じくNLに所属していたユーイング選手がプレーヤーズ・リーグに移籍しようとしたことに対し球団側が起こした移籍差止請求訴訟が、上記Metropolitan Exhibition Co. v. Ewingです。

 ニューヨーク巡回裁判所は「(選手契約の保留条項の規定は)曖昧である(ambiguous)ので拘束力がない」として球団の差止請求を棄却しています。
 更に、Philadelphia Ball Club v. Hallmanでも、ずばり「保留条項の規定は、まったく不明確なので拘束力がない:”the contract of reservation wholly uncertain, and therefore incapable of enforcement”」として、球団の差止請求を棄却しています。

                

 この時期の訴訟の争点は、契約(契約そのものおよび保留条項)の有効性にあり、裁判所は、「契約条件が不明確である(the contract is indefinite and uncertain)」あるいは「一方的で相互性に欠ける(lack of mutuality)」という契約法上の瑕疵を理由に、保留条項の有効性を否定しています。

 なお、1890年は、奇しくもアメリカの反トラスト法の中心となる「シャーマン法」が制定された年であることを覚えておいてください。


ラジョイ事件(1902年)による
ナショナル・リーグとアメリカン・リーグの一体化

  • 1902年 Philadelphia Ball Club v. Lajoie, 51 A. 973 (Pa. 1902)


 1901年、これまた現在のMLBの一翼を担う存在であるアメリカン・リーグ(American League、以下「AL」)が新興リーグとして誕生しました。当然、このときにもNLからALへの選手の移籍あるいは引き抜きが起こりました。

 NLの球団・フィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies)のスター・プレイヤー(二塁手)であったラジョイ(Napoléon “Nap” Lajoie)も、このときALに移籍した大物人気選手です。彼はALのフィラデルフィア・アスレティックス(Philadelphia Athletics)に移籍し、この年、打率:422、ホームラン:14本、打点:125でALの三冠王に輝きました。

 フィリーズは、当然、ラジョイの移籍を阻止すべく、州裁判所に差止命令(injunction)を求めましたが、裁判所は、「単なる契約違反であるから、損害賠償で治癒できる」というコモンローの原則に基づき、衡平法(equity)に基づく救済である「差止」を認めることはできないと判断したため、球団はラジョイの移籍を差止ることはできませんでした。しかし、あきらめ切れないフィリーズは、「移籍の無効、フィリーズ以外の球団への移籍の禁止」を求めて訴訟を起こしました。フィリーズの主張は、下級審では認められませんでしたが、1902年、州最高裁判所は「余人をもって代え難い技能・能力」を有している選手(ラジョイ)を失うことはフィリーズに「回復不能な(irreparable)損害をもたらす」として、移籍の禁止を認めました。

 くだんの契約上の問題、すなわち、① 契約の相互性の欠如、② 衡平法(equity)に基づく救済である「差止」を認めることができるのか、についてフィラデルフィア州最高裁判所は次のように判断しています。

① ラジョイの選手契約書(新たな統一選手契約)第18項には、球団の契約解除権や保留権、トレード権などを選手が承諾する対価(consideration)として、$2,400を球団が選手に支払うことになっているので、一応の衡平は保たれている。

② 契約書第5項で、球団が衡平法上の救済を求めることを選手は承諾しており、なおかつ、上述のようにラジョイは「余人をもって代え難い」選手であるので、球団は衡平法上の救済を求めることができる。

 この判決により、選手側は、保留制度に対する戦いにおける法的根拠の再考を余儀なくされることになります。

 なお、お互いの傘下の選手の引き抜き合いを巡ってバトルを繰り返したNLとALは、選手報酬を引き上げる結果となるだけの消耗戦を繰り返す愚を避けることにし、1903年にナショナル・アグリーメント(National Agreement)と呼ばれる和解契約を締結し、お互いに保留制度を維持・尊重して、共存共栄を目指すことにしました。これによって、NLとALの実質的一体化すなわちMLBのスタートが切られることになりました。


チェイス事件(1914年)に見る
反トラスト法違反への司法判断

  • 1914年 American League Baseball Club of Chicago v. Chase, 149 NYS 6 (N.Y. Sup. Ct. 1914)


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(チェイス選手)(※)

 1914年には、またもや新興リーグ「フェデラル・リーグ」が誕生します。
 AL傘下のシカゴ・ホワイトソックスのチェイス選手(Harold Homer Chas:通称ハル・チェイス)がフェデラル・リーグに移籍しようとしたことに対して球団が申し立てた差止請求の是非を問う訴訟において、チェイス選手側がプロ野球史上初めて反トラスト法(シャーマン法)違反の主張を持ち出しました。

 チェイス選手は、これまでの争いと同じように「選手契約書の瑕疵」を訴えると共に、ナショナル・アグリーメントに基づき作成されたAL(およびNL)の保留条項の入った統一選手契約による選手の移動の拘束は、球団という企業同士が共謀して(談合して)取り決めた労働市場の制限であり、シャーマン法に違反しており無効であるとの主張を加えました。


(※ Baseball Monopoly – Northern Illinois University.pptより転載)

 裁判所(ニューヨーク州地方裁判所)は、上記ウォードのケースと同じ理由(選手契約が一方的で相互性に欠ける)で契約は無効であること、更に、リーグ・球団によるナショナル・アグリーメントの規定、ナショナル・アグリーメントに基づく理事会規程および統一選手契約書などによる選手拘束の仕組みは、コモンロー上のモノポリー(独占)に当たり違法であり、差止請求という衡平法上の救済を求める者に必要とされる「クリーンハンズ(clean hands)」(※1)の資格がない、として球団の差止請求を退け、チェイス選手は勝訴しました。

(※1)「クリーンハンズの原則」とは、イギリスのコモンローにおける「公平を求めて裁判所に訴える者は、綺麗な手で訴えなければならない。(He who comes into equity must come with clean hands)」という原則です。

 なお、ラジョイ事件で「一応の衡平は保たれている」と評価された選手への「補償金」の存在については、この判決では、別段の評価はされていません。

 しかし、シャーマン法に違反するとの主張については、裁判所は、「選手は(シャーマン法の対象とする)『取引』の対象である商品ではない」こと、NLやALが行っているプロ野球の(興行)は「『娯楽』(amusement)であり、『スポーツ』(sport)であり、『試合』(game)に過ぎず、これらは民法・刑法といった州法の管轄分野であり、連邦法が規制するシャーマン法が規制する『interstate commerce』(「州際取引」または「州間取引」、すなわち州をまたがって行われる取引)の対象となる『商品』には該当しない」として退けました。

 これが、次に述べる連邦最高裁裁判所による「MLBには反トラスト法は適用されない」との判例の先駆けとなりました。

 なお、1914年は、シャーマン法を補完する反トラスト法として「クレイトン法」(および「FTC法」)が制定された年でもあります。

 続く後編では、プロ野球にシャーマン法が適用されるか否かの司法判断において重要な意味を持つ「フェデラル・ベースボールクラブ事件」を中心に解説していきます。

後編につづく


 編集/八島心平(BIZLAW)


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この連載記事を読む
 スポーツビジネスと法 / 宮田 正樹(一般社団法人GBL研究所 理事)

宮田 正樹

Profile

宮田 正樹 [一般社団法人GBL研究所 理事]

一般社団法人GBL研究所 理事、二松学舎大学国際政治学研究科。1971年大阪大学法学部卒。同年伊藤忠商事株式会社入社。同法務部等を経て、株式会社日本製鋼所法務専門部長兼法務グループマネージャーを歴任。2013年9月末日を以て同社(日本製鋼所)を定年退職。同年10月より一般社団法人GBL研究所理事。2004年より二松学舎大学大学院で「企業法務」について、2008年より2016年2月まで帝京大学で「スポーツ法」について、それぞれ非常勤講師として教鞭を執る。主著に『リスク管理と契約実務』(共著 第一法規、2004年)、『知的財産のビジネス・トラブル Q&A』(共著 中央経済社、 2004年)『リスク管理と企業規程の作成・運用実務』(共著 第一法規、2008年)『プロスポーツ経営の実務』(共著 2011年 創文企画)『現代企業実務 Ⅰ(国内企業法務編)』(共著 2014年 大学教育出版)『法務部員のための契約実務共有化マニュアル』(共著 2014年 レクシスネクシス・ジャパン)『グローバルビジネスロー 基礎研修 Ⅰ 企業法務編』(共著 2015年 レクシスネクシス・ジャパン)など多数。




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