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境界線を引くということ

千葉大学 法政経学部 准教授 関谷 昇

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ルールとは何か、政治とは何か 第2回


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前回のポイント

 第1回は、「共存」ということを考えるにあたって、「他者」という問題を考えることの必要性を指摘しました。ルールをめぐっては二つの側面があり、一つは、法という権威や手続きという枠組みを前提にして、その中でそれぞれの立場が自分の利益を守り、目的を達成することができるという側面。もう一つは、そうした既存の枠組みを自明の前提として、もっぱらその運用に焦点が合わされてしまうことによって、それに該当しないものは認識や実践の射程から漏れ落ちてしまう(場合によっては排除されてしまう)ことがありうるという側面です。問題は、とりわけ後者の側面をめぐって、法の形式性や特定の人間像の下に、「他者」へのまなざしが限られていってしまうという点であり、それはルールや政治を考えるうえで根源的な問いであるという話をしました。

 なぜ「他者」へのまなざしが限られていくのか、それは認識と実践が閉じられていくからです。例えば、特定の帰結を導くために、余計なものを棚上げして、合理的にものごとを進めたいという思いは、ルールや政治でなくても、社会生活の中でよく見出されるところかと思います。いかなる立場であれ、導かなければならない帰結や成果があらかじめ要請されている場合、その傾向がよりいっそう強くなるのではないでしょうか。しかし、そうしたところにこそ、「他者」の不在が生じてしまう原因があると言えるのです。

境界線を引くということ

 この「他者」をめぐる問題は、言い換えれば、「境界線」がいかに引かれるかということにかかわっていると言うこともできます。リーガリズムは、「法」と「政治や道徳」との間に明確な境界線を引くことによって、ルールが対象とする人間の多様性やルールを取り巻く道徳状況が切り離され、ルールの純化が追求される反面、その形式性によって複雑な現実が平板化せられてしまうという問題を抱えていました。

 また、ホモ・エコノミクスに基づく合理的選択論も、「利益の最大化を求める人間」と「それ以外の人間」との間に境界線を引くことによって、非合理的ないしは非効率的なことが切り離され、ルールの合理性が追求される反面、その合理性によって選択の幅が狭められてしまうという問題を抱えていました。いずれにしても境界線を引くということが、「他者」という問題を生じさせることになっていると理解することができます。

 もっとも、この境界線を引くという行為は、ルールや政治の中で普通になされていることではあります。例えば、公と私、営利と非営利、自国と他国といった主体や領域の間には、それぞれを区別する境界線が引かれ、それによって権限や役割を区別するといったことが営まれています。あるいは、男性と女性、若者と高齢者、富裕層と貧困層、強者と弱者の間においても、それぞれの権利や利益を守り、積極的な是正を図ろうとするために境界線が引かれることも、しばしば見受けられるところです。行政資源や経営資源など分配できる資源には限りがありますから、利害の調整を図るためには、一定の条件や範囲が設定される必要があるというわけです。

 さらに話を広げて言えば、日本の文化や風土において顕著に見られるような、ウチとソト、ホンネとタテマエの使い分けも、その間にある種の境界線が引かれているととらえることができるでしょう。例えば、組織風土ということを考えてみても、タテ社会という特徴が極めて強く、組織のウチとソトの間には境界線が存在しています。それは、人間関係や組織関係を円滑にする作法として受け止められていると言えるかもしれません。

対立か連帯か

 このように境界線というものは ある種の秩序を作り出し、安定性を維持することと密接に結びついています。古来、人間は群れを維持するために、様々な意味づけによって領域や集団を分節化してきたのであり、それによって共同体というものを作り上げてきました。その限りでは、境界線というものは秩序に必要不可欠なものであると言えます。

 ただ、ここで注目したいことは、この境界線を引くということそれ自体が、既に「政治」的な判断を含んでいるという点です。境界線の引き方、あるいはそれによって作り出される秩序や制度の運用如何によっては、「他者」を排除することにもなれば、「他者」との共存を導くことにもなりえます。主権的秩序において引かれる国境という境界線が、対内的無制約性と対外的自律性を合わせ持っていることを思い浮かべてみれば、境界線が持っている両義性をイメージすることができるでしょう。「他者」をめぐる排除と共存が、境界線の上で表裏をなしているわけです。

 この排除か共存かという問題は、その根底において、政治社会の状況を「対立」という側面と「連帯」という側面のいずれからとらえるのかによって、その理解が大きく変わってきます。それは「他者」とどのように接するのかをめぐる違いとなって現れてくるとも言えます。以下では、二人の政治学者の政治観を紐解きながら、この問題を考えてみたいと思います。




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関谷 昇

Profile

関谷 昇 [千葉大学 法政経学部 准教授]

1971年生まれ。栃木県出身。1995年獨協大学法学部卒業。1997年千葉大学大学院社会科学研究科法学専攻修了、修士(法学)。2000年同大学院社会文化科学研究科日本研究専攻修了、博士(法学)。同大学法政経学部助教授等を経て、2007年より現職。
専門分野は、政治思想史、政治学。研究テーマは、[思想研究]近代社会契約説、自治の思想、補完性原理、コミュニティ論。[社会的実践]市民自治、市民参加・協働のまちづくり。

ホームページ : http://www.noborusekiya.com/




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