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裁判官の責務
― 自己努力を共有財産として残す

弁護士、日本大学法科大学院教授 滝澤 孝臣

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裁判官の自己研鑽 ~裁判官に期待される姿勢について~ 第3回

 第3回は、裁判官自身の成長にもなる「裁判官の執筆」について、現役の裁判官へ送るメッセージです。



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共有財産となる判決を、
客観的に分析して、位置づける

――裁判官の知識の共有の必要性について、実感したエピソードはありますか。

滝澤 事件処理の成果を共有するためには、先例を処理した裁判官が、その処理の是非を含め、かつ、批判も覚悟して、判決を紹介する必要があるように思います。それは、現場の裁判官の職務上の義務であると言っても、過言ではありません。

 さいたま地裁の時に、他部の左陪席から「この点の裁判例がない、文献しかないから、その判断について意見を聞かせてほしい」というような相談を受けました。民事裁判官なら日常的に扱う問題なのに、裁判例が公表されていない。「裁判官は弁明せず」の延長で、自分が言い渡した判決は日の目を見ないようにしてしまうようです。

 しかし、判決を言い渡した以上、一つの裁判例として、こういう処理をしたと公開する必要があるのではないでしょうか。その結果、その判決が批判されるか、されないかは、学者の先生に委ねるべきでしょう。あるいは実務家だって反論するかもしれません。そういうことを経て、その判例の位置づけがされていけばいいのではないでしょうか。

 先例を処理した裁判官が苦労した、あるいは調べたところが紹介されていれば、それを見ながら、その上で問題点を考えられる。同じだったらそれでいいし、違っていたら修正する。そうして実務が確立していくのではないでしょうか。最高裁の判決だけでなくて、下級審の裁判例が公開されるから実務の発展性があるのではないかと思います。他部の左陪席からそんな相談を受けたことが印象深く、改めてそう思っています。


――裁判官がコメントする時に、意識しなければいけないことは。

滝澤 私が裁判長になってから、左陪席が合議体で言い渡した判決にコメントする時に、いつも助言していました。「調べたはずだから絶対間違いないとか、そんなことじゃないぞ」、「言い渡した以上、その判決は世間の存在、共有財産としての存在となっている。裁判官として、その共有財産を客観的にどう評価するか。そういう意味でコメントしないとだめだ」と。

 言い渡した後は、自分が関与した判決でも客観視して、適正な論評ができないといけない。論評することで、後に事件処理する時に「もう少しこうしておけば良かった」とか、フィードバックできるはずです。それが左陪席自身の勉強になって、今後の成長に役に立つから、コメントしてみなさいということでした。

 要は、成長するためには、自分が判決を言い渡した事件をそのまま見るのではなく、判決が公表されて客観的な存在になる時に、客観的な存在としてまず自分がその判決を見る。「あの判決は、ここが少し足りなかったのではないか」ということがあるかもしれないが、その時に、弁明で終始してはいけません。「言い渡している以上は、客観的な存在、共有財産という認識でコメントしたらどうか。そうすれば、また、今後の事件の処理にも必ずはねかえってくる。そこを、この判決は間違いないというような弁明で終わったら、自身の進歩もないよ」と、戒めていました。


――判決文に示されている部分と示されていない部分があって、ポイントになるコメントの多くは判決文の外にあるように思うのですが。それをきちんと出していくのは意義がありますね。

滝澤 民間の企業であれば、案件の処理に関する記録がファイル化されて残っているはずですね。それが、裁判所の場合には、裁判官の独立(注1)を前提に、事件の処理に関する記録が各自の胸の裡に収められ、公表されないとなると、そんな事件があったことも、そんな解決がされたことも分からない。それは、事件処理の公正、妥当を職責とする司法全体にとって、大きな損失のはずです。

 自らが言い渡した判決をコメントする場合に、弁明してはいけませんが、判決を客観視してコメントする。その後、学者の先生がその判決を評釈する時に、裁判官のコメントで客観視された問題を受け止めた上で、学説の批判として発表された方がいいように思います。学説の批判も、実務における問題と離れたところで議論されるようだと、無駄なことになりかねません。


――判決の要旨をまとめてコメントを書くということは、周囲に対して情報を発信するだけでなく、自身の考え方も見直すという研鑽になりますね。裁判官の執筆活動について、先生のお考えをお聞かせください。

滝澤 裁判官の執筆については、「事件処理に忙殺されているのに、よくこんなに執筆ができるものだ」という感嘆の声が上がるだけでなく、一転して、「仕事をさぼっているのではないか」という疑いの目を向けられることもないわけではありません。しかし、そういう裁判官がいたらそれこそ論外です。裁判官の執筆活動は、誰も仕事をさぼってしているというように色眼鏡で見るのは良くありません。現場の裁判官の事件処理を知っていれば、それが誤解だということはすぐに分かります。

 むしろ本質は、裁判官として事件処理を共有する、財産を共有することです。その結果、事件処理を一件一件集中すればするほど、自分なりの実務的な考えがまとまった形で蓄積されてくるはずです。

 情報を共有したら、同じような体験をしている裁判官が反論してくるとか、あるいはその反論を知った学者の先生も持論を展開してくるとかが予想されます。それは、司法の本質で、真相を見定めて法律をきちんと適用するためには、どうしても不可欠だと思います。仕事をさぼってしていると誤解を受けることがあれば、戒めないといけないですが、本質はそこではないのです。裁判官が誰も一生懸命に仕事して、その成果を共有しようと発表しているに過ぎません。

 裁判官の研究とか研鑽とか、その成果を発表することの本質がどこにあるのかを見失ってはいけません。成果を共有し得なくなると、誰しも一からスタートする状態になりますが、それは司法の発展のためになりません。法曹として弁護士の先生を巻き込んだ上で、実務の発展というのは、学者の先生の批判を受けるためにも、むしろ研究、研鑽して、その成果を財産として共有するために発表する必要があるはずです。本質を見誤ってはいけません。


――事件処理や研究から得た成果を世に発表して共有する。そういう意味で執筆活動はした方がいいですね。本業に支障をきたすようなことは論外ですが、自己研鑽をする中での成果物は発表した方がいいですね。

滝澤 そのベースとなるのは、自分の担当した事件の処理です。事件処理に心血を注げば注ぐほど、一定の分野で自分の頭の中に問題点が体系付けられて整理されてくる。学者の先生の研究活動とも自ずと違いが出てきます。その整理されたところを発表することは、先程の事件解決の共有と同じ、あるいはそれ以上に、実務の発展に役立つはずです。裁判官の中に、誤解を招くような執筆活動をしている裁判官は皆無だと信じていますし、そもそも事件処理に傾倒していなければ、そのような執筆は困難であるはずです。


懸命に仕事して得た、
知識・経験を公のものにする

――実際に、裁判官の執筆活動は行われているのでしょうか。

滝澤 最近、裁判官の執筆活動が多く見られない状況にあるのではないかと危惧しています。退官後も、編集などの機会を与えられて、後輩の裁判官に執筆をお願いする機会も少なくないですが、多忙を理由に断られる場合も増えています。

 裁判の現場にいる裁判官であれば、事件処理に腐心して当然ですが、それだけに、その解決の成果は、自分だけの経験に留めるのではなく、裁判官全員の共有財産として、進んで公にしなければいけないのではないかと思います。これは、裁判の現場で一貫して執務してきた、私の持論です。そのためには、裁判官が誰しも、事件の個性を見極めて、事案のそれぞれに適切な解決を心掛けなければいけません。その努力があればこそ、裁判官の共有財産も生まれてくるはずです。


――現役の裁判官へのメッセージをお願いします。

滝澤 一生懸命仕事しましょう。そうやって仕事をして自ずと出てくる成果を、皆で共有しましょう。そこを忘れて、研究発表すると、仕事していないのではないかと疑われるなどというのは、論外です。裁判官は、そうして勉強しないといけません。事件は一生懸命処理したけど、その成果を共有したくないというのは、おかしいように思います。裁判官が執筆して論文を載せることは、裁判官として自ずと出てくる本質的な要請ですので、ずっと守ってもらいたいですね。

 仕事を一生懸命して、知識を共有する。それは権利ではなく、むしろ義務だと思ってもらいたいです。司法の本質になりますが、一から勉強した人の成果を引き継いで、次のステージを見て、その時には学者の先生の批評も受けて、また実務家がこう事件を解決したということを公表してもらいたい。そのようにして、その結果を公表していったら、どんどんステップアップしていくのではないでしょうか。今までずっと司法がうまくやってきているのは、それがあったからだと思います。

 現役の裁判官一人一人が、事件処理に邁進していることは疑いのないところです。そうであればこそ、それぞれが自らの責任として共有財産を残してもらいたいです。


文/冨岡由佳子
取材・写真/木村寛明(BIZLAW)


※注
(注1)裁判官の独立
裁判官が、いかなる外部からの干渉を受けずに、公正無私の立場で職責を果たすこと。司法権の独立。



 この連載記事を読む
  裁判官の自己研鑽 ~裁判官に期待される姿勢について~ / 滝澤 孝臣(弁護士、日本大学法科大学院教授)

滝澤 孝臣

Profile

滝澤 孝臣 [弁護士、日本大学法科大学院教授]

1947年生まれ。長野県出身(出生:群馬県)。中央大学法学部卒業。東京地方裁判所部総括判事、山形地方裁判所・家庭裁判所所長、東京高等裁判所(知的財産高等裁判所)部総括判事などを歴任。2012年定年退官。現在は、弁護士、日本大学法科大学院教授。

<主な著書>
『不当利得法の実務』(単著/新日本法規出版,2001年)。『民事法の論点-その基本から考える』(単著/経済法令研究会,2006年)。『民事法の論点Ⅱ-その基本から考える』(単著/経済法令研究会,2011年)。『実務に学ぶ 民事訴訟の論点』(編著/青林書院,2012年)。『実務に学ぶ 倒産訴訟の論点』(編著/青林書院,2014年)。『LP金融取引関係訴訟』(編著/青林書院,2011年)。『消費者取引関係訴訟の実務』(編著/新日本法規出版,2004年)。『金融・商事判例50講一裁判例の分析とその展開-』(編著/増刊金融・商事判例1211号,2005年)。『判例展望民事法I』(編著/判例タイムズ社,2005年)。『判例展望民事法Ⅱ・Ⅲ』(編/判例タイムズ社,2007年/2009年)など著作多数。




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